○設立の経緯
矢野恒太はわが国の生命保険に初めて相互組織を導入し、第一生命保険相互会社を
創立しましたが、保険界のみならず、統計、公衆衛生、社会教育、農業振興など各方面
にも偉大な功績を残されました。
恒太が昭和26年9月23日、85歳8ヶ月の高齢で逝去後、故人の事績を顕彰するため、
昭和28年3月17日第一生命創立50周年記念事業として当財団が設立されました。
初代理事長は第一生命の第3代社長であった石坂泰三が就任した。石坂は、逓信省の
官僚でしたが、岡野博士が恒太の後継者として推薦したもので、戦後は東京芝浦電気
(現東芝)の社長、日本経団連会長などの要職を歴任し日本経済の高度成長に貢献
しました。
○設立趣意書
(昭和27年12月)
生命保険界の鬼才故蒼梧矢野恒太翁がそのかねての理想たる相互主義(非営利の実費
主義)に基づいた生命保険を創設して以来既に50年を経過した。その間保険契約者の
負担の軽減を目的に終始日本の生命保険事業の発達に尽瘁したが、戦後多数の会社が
第二会社を設立するや、生命保険事業の理想の形として、ほとんどの会社がその組織を
相互会社に改めて新発足するに及び、ここに文字通り翁の理想が実現される事となった。
又翁は常に一般国民が数字に親しまぬ事を嘆じ、生活の科学化能率化という点から誰に
でも親しまれる簡単な諸数表を刊行し簡単な数理統計の普及に尽力した。
更に翁は力を公衆衛生の発達特に結核の撲滅に尽くし、この方面からも社会文化の向上
国民文化の発達に尽くした功は大である。ここに故矢野翁の偉業を顕彰し、翁がその一生
を捧げた相互主義の研究並びにその援助を行い、生命保険の数理統計等学術の普及発
達を通じ、国民文化の向上発展に資せんとして本財団を設立せんとするものである。
○財団の歩み
- 昭和28年3月
- 財団法人 矢野恒太記念会設立(文部省所管)
- 日本国勢図会 第12版編集(発刊は国勢社。第11版までは、国勢社で編集・刊行)
- 昭和29年
- 「矢野賞」「三徳賞」創設 第1回「矢野賞」「三徳賞」贈呈
- 「岡野敬次郎博士記念奨学金」制度設立
- 昭和30年
- 生誕地に記念館建設 「矢野賞」「三徳賞」受賞者を会員とする「恒心会」発足
- 昭和32年
- 「池田謙三翁記念奨学金」制度設立
- 昭和40年
- 「三徳賞」を「矢野賞」に統合
- 昭和45年
- 「日本のすがた」初版発行
- 昭和56年
- 「日本の100年」初版発行
- 昭和60年
- 「世界国勢図会」初版発行
- 昭和63年
- 「データでみる県勢」初版発行
- 平成23年
- 公益財団法人へ移行
- 平成24年9月
- 第8回日本統計学会統計活動賞を受賞
- 平成27年8月
- 第48回岡山県三木記念助成金を受賞